古道から 「祈り」を想う 金草岳、蠅帽子嶺

美濃と越前を結ぶ峠を訪ねに、廃村の楢俣から桧尾峠へ向かう。林道脇のお地蔵様。まだきれいな頭巾、お供えのお菓子から人々の想いが伝わる。古い写真で見た尾根道上の二体のお地蔵様には出会えなかった。

かつて春と秋に鯖江の浄土真宗の御使僧が通った道。今は細々とした踏み跡の道だが、所々で見かけた落書きの刻まれたぶなの木が、私の親が生まれた頃もこの道が生きていたことを教えてくれる。

能郷に向かい夕陽を受け輝く錦秋の冠林道を走る。この日、この時間、ここを通れて良かった

日本の山の美しさをしみじみ感じながらのドライブ。

圧倒的な存在感を放つ冠山。神々しく光る頂が「憂いは馬坂、つらいは冠、のりの遠いは田代道」と唄われたつらい峠道がアスファルトの道の下にあったという事実を思い出させてくれた。

 

翌日は蠅帽子嶺へ。

幕末、尊王攘夷派の水戸天狗党が志を伝えようと京に向かい越えた峠道。12月の吹雪の中、女性も含む800人もの人々が熱く切実な願いを抱え行進したのだ。紅葉の奥山で近代日本の成り立ちを考えさせられる。

山仕事、巡教、交易、移動・・・山を歩く人の負担が軽くなるよう尾根を横切りながら緩やかに道は延びている。所々に残る石積みは人々の祈りや願いの重さを支えてくれていたのだろう。

鯖江誠照寺の「お回り」道

鯖江~板垣峠~水海~巣原峠~熊河温見~中島~秋生~蠅帽子峠~猫峠~折越峠~松田~樽見~長領~能郷~馬坂峠~下開田~上開田~門入~戸入~本郷~山手~馳原~塚~檜尾峠~田代~板垣峠~鯖江。  今は無き集落も。  そんなに遠くない昭和の初めも春秋年2回巡教されていた。